YNU -Marine Environment Design Laboratory-

2011年

10月25日:ぬか喜び

 

ここ2週間ほど、一日に1時間くらいの空き時間に、とある理論の研究をしていた。30年くらい前に当該分野の大家が書いた論文に誤りがあるのではないかと思い、あれやこれやと検討しているうちに 「もしかしたら新しい公式を導けるかも」と内心ワクワクしていた。が、今日の朝にその大家が導いた式が正しいことを証明してしまった…うーむ。
これはこれで演習になったと前向きに考えるしかあるまい。

 

10月7日:いつも意外なところに

 

実験装置を自分たちで組み立てる研究では、実に意外なところに欠点が露呈する。今日、学生が「実験中にトラブルがありまして…」と話しかけてきた。話を聞いてみると「えっ、そんなところが壊れるの?」と思ってしまう様な部分に不具合が出たとのことであった。なかなか思い通りにはいかないものだ。さてさて、どうしようか?

 

10月6日:まごころシーケンシャル処理

 

朝、通勤の山登り中、今日中にやるべきことを考えていたら、その数の多さに気が遠くなった。「うー」と唸りながらすべての雑用を処理できたとき、すでに陽は沈んでいた。こういう日は帰りの山下りがつらい、というかかなり面倒に感じる。「自分ほど時間の使い方が下手な人間はいないよな…」などと考えてしまい、へこむわけだが、こういうとき、大学院生時代の恩師の言葉を思い出して元気を取り戻す様にしている。私が修士課程のころ数値計算がなかなかうまくいかず、問題点が多すぎてその処理に焦っていることをゼミで報告したときに、その恩師は朗らかな笑顔で「まあ、研究なんてそんなものですよ、西君。そういうときはですね、問題点をひとつひとつ丁寧に、真心をもって解決していくしかないと思いますよ」と仰った。実はこの当時、私はこの言葉にあまり感銘は受けなかった、というかこの言葉をちゃんと受け入れるだけの心の余裕がなかったと思う。この恩師の言葉に感謝の気持ちが持てたのは、その数年後、博士課程を修了した後だったと思う。

 

日々、何かの作業に没頭し続けていると必ず作業が雑になって、研究対象に対する真心を失っていき作業精度がますます落ち、どつぼにはまることがしばしばある。こういう気持ちに陥ったときは「ひとつひとつ丁寧に、真心をもって」と心の中でつぶやく。少なくとも私にとってはよい方法である。

 

10月5日:役に立つか立たないか?

 

高校3年生のとき、ある国語の先生が授業中に仰った言葉が未だに頭の中に残っている

 

「役に立つか立たないか?これを考えることは大事です。だけど、これを考えすぎると幅の狭い人間になってしまうと私は思います。役に立つモノだけ手に入れて、役に立たないモノは捨てる。若い時にはこの考え方は持たない様に心がけた方がよいと思います。役に立たない様にみえるモノの中にも、美しいモノがあるかもしれませんからね」

 

数年前、当時の学生に実験データの解析方法を指示したときに、その学生は「こんな解析、会社に入ってから何かの役に立つのかなあ?別にやらなくてもいいんじゃね?」と言ったのを鮮明に覚えている。その時の私には、その言葉に対してネガティブな衝撃を受けて、これといった返答もできず「つべこべいわずにやれ」と言う事しかできなかった。

 

自分の裁量で研究をして、その成果を学生に教えることを生業として以来、上記の国語の先生の言葉は研究を進めるときの指針にしている。役に立たないモノを役に立つモノに変える、それがすなわち工学なのだからと自分に言い聞かせて。

 

10月4日:3次方程式

 

ここ4年ほど、研究の主たる方法は実験や数値計算であり、研究ができる時間の大半はこれらに費やしている。その一方で、空いた時間を使って数式をあれこれ考える理論的研究も同時に行うようにしている。大型水槽を使った実験の最中に、水槽の曳航台車の中で数式変形を試みていたこともある。不思議なことに私が「ああでもない、こうでもない」と悩んだ末に数式を展開していくと、なぜだか3次方程式が導かれる。3次方程式には解の公式が存在するから、この公式を使って解を求めてみる。この解のもつ物理的な意味をちゃんと解釈できて結果的に上手くいったこともあれば、3次方程式を導く前の段階での仮定が誤りだったこともある。

 

この10月にも謎の3次方程式を導いてしまった。この方程式、何か意味を持っているのかどうかはまだ分からないな。また時間ができたら考えよう。

 

10月3日:深夜の本棚整理は危険だ2

 

うーむ、結局、聖闘士聖矢を最後まで読んでしまった。。。魅力あるキャラクターの多いこの漫画だが、一番好きなのはと訊かれたら、私はおそらく「さそり座スコーピオンのミロ」と答えると思う。ミロは他の黄金聖闘士と比べると登場回数は多い方ではなく一見、地味な印象だ。しかし、氷河やカノンとの闘いにおいて描かれるミロの人間性には惹かれるものがある。スカーレッドニードルという必殺技で敵の身体に激痛を与えつつ降伏をせまる、サディスティックな戦闘スタイルの持ち主である一方で、その内なる性格は友情に厚く、使命感にあふれるものの様に感じられ、好感がもてるのだ。

 

…幸い、次の日は定刻に起きれた。

 

10月2日:深夜の本棚整理は危険だ

 

深夜に家の本棚を整理しようと思ったところ、『聖闘士聖矢』が目に留まってしまい、1巻から読み始めてしまった。。。「いかん、早く寝なければ」と思いながらも止めることができず、十二宮の闘いの終盤あたりまで来てしまった。水瓶座アクエリアスの黄金聖闘士カミュと、その弟子である氷河との闘いはいつ読んでも感動する。これは自分がカミュの思想に魅力を感じるからだと思う。カミュは弟子との闘いを通じて、自分の命を懸けて氷河に闘士としてのメッセージを贈る。そのメッセージとはおおまかに言うと「一度闘いが始まったら、自分が正しいかどうかなどと迷わずに、最後まで自分の立場で戦い抜くべし」というものだ。要するに「やるならやれ」ということだ。実にシンプルな考え方だが、好きである。

 

9月26日:プレゼンテーション

 

職業柄、人の講演を聴く機会が時々ある。講演内容そのものに興味をそそられることもある一方で、講演の巧さが気になることもある。9月末の週末に、ある一般向け講演会の実行委員をつとめる傍ら、休憩を兼ねていくつかの講演を拝聴した。この講演の巧さという点で考えさせられることの多い講演会であった。
すべてパワーポイント(パワポ)を使ったプレゼンテーションであったのだが、このパワポという道具、使い方が適切でないと、悪い意味で聴衆の印象に残ってしまう、もしくは悪い意味でも良い意味でも印象に残らない様だ。私もパワポを使って学生に講義をする立場であるので、今後の勉強のために感じたことをメモしておこうと思う。
悪い印象を与えたもの
・スライドと口頭との内容が一致しない(講演者がスライドを使っているにも関わらず、スライドの内容とは関係のないことをしゃべり続ける、またはパワポ使用者としての最低限の知識がない)
良くも悪くも印象に残らなかったもの
・あまりに網羅的である(「活動紹介」、「施設紹介」などの「紹介もの」はどうしても敷地面積とか入場者数・参加者数の伸びなどをデータで示してしまうが、多くの聴衆者にとってそのようなデータは不要である。例えば小学生に向かって「平成22年度には○○万人ものお友達が来てくれたよ」と言っても意味がない。その施設に行くと(その活動に参加すると)どんな面白いことが体験できるのかを端的にPRできる工夫が必要だと感じた)
・メッセージがない(聴衆に伝えたいことがないまま壇上に立っているかまたは、それを短い時間で伝えるための言葉が準備できていない)
良い印象を与えたもの
・明らかなメッセージがある(一瞬、聴衆者全員の注意を引く様な明瞭なフレーズを使ったスライドは、印象に残りやすいと思った)

 

9月21日:風雨強し

 

午前中に2つの雑用を片付けた(つもり)。午後は停滞気味の研究を進めるべくシャーペンで裏紙にメモを取りながらコンピュータに向かった。久々のロングプログラミングになりそうだ。昼ごろから風雨の強さが増してきた。台風15号が近づいてきたようだ。海洋棟には人がかなり少なくなった。一瞬「早く帰ろうか」と思ったが、今の作業を今日明日中には目処を立てたいのと、窓外の風雨の音を聞いていると駅まで歩く気がなくなったのが重なり、結局研究室にいる。さて、どうしたものか。

 

先週末に帰省した際、実家の書棚にあった『森の不思議』(神山恵三著)を拝借してきて今読んでいる。森林の木々から発せられる色々な物質について著者の研究活動を通じて平易に解説されている。まだ半分程度しか読んでいないが、読み応えがある。著者が計測を行うために工夫に工夫をこらして装置をつくりデータをとった様子が書かれており大変刺激を受けた。また、最初の章は他の章とは別の意味で印象的であった。著者が樺太にある森に調査に出かけた際に現地を案内してくれたひとりの少年との半日ばかりの触れ合いが書かれている。少年との別れ際、著者が感じた切なさが秀逸に表現されていた。

 

9月19日:必殺シュート

 

都内の水族館でイルカショーを見た。イルカが水面から高く跳んで天井からぶら下げてあるサッカーボール(の色のビーチボール)を口先でつつくという芸があった。非常に楽しいショーだったが、イルカ以外にもひとつ気になったことがあった。イルカショーがサッカーをテーマにしたものであったため、会場のBGMがキャプテン翼のオープニング曲「燃えてヒーロー」だったのだ。子供のころアニメをみていたが、テレビではオープニングは1番しか聴けなかった。しかし、この日初めてこの歌をフルに聴けたのだ。それ自体が感動だったのだが、もうひとつプチ感動があった。一番の歌詞の中に

 

「ダッシュダッシュダシュ、キックアンドダシュ、いつか決めるぜ いなずまシュートォ―」

 

という部分がある。これに対応する2番の歌詞が

 

「ダッシュダッシュダシュ、キックアンドダシュ、いつか光るぜ ヘディングシュートォ―」

 

ということを初めて知ったのだ。キャプテン翼といえば、ドライブシュートやタイガーショットなど派手な必殺技が有名だが、それに比してヘディングシュートは地味ではないかと思った(だが、いなずまシュートという技は私が知る限りないと思う)。私が子供のころ、友人とPKで遊んでいたときの必殺技名はたしか「ミラクルバナナシュート(カーブをかけたつもりになって蹴る)」というものと単なる「シュートッ(凝った長い必殺技名を宣言するふりをして、シンプルな名称をつけキーパーを動揺させることを意図?)」というものだったと思う。

 

…という様なことを考えながら電車に乗っていたら、危うく1人で笑い出しそうになった。

 

9月18日:関ヶ原

 

ここ数年、大河ドラマで関ヶ原の戦いが放映されるときは必ず視るようにしている。合戦が始まる前の徳川勢と石田勢との駆け引きの辺りが歴史的に非常に魅力である(そういえば、東海道新幹線に乗ると岐阜羽島辺りで必ず関ヶ原古戦場が見えて「行きたいなあ」と思うのだが一度も行った事がない)

 

今年の大河で家康を演じている北大路欣也の演技は家康の戦略づくりの巧みさみたいなものを表現していて好感をもっている。私にとって一番印象深い家康は「功名が辻」に出演していた西田敏行が演じた家康である。寝返りを密約していたはずの小早川秀秋がなかなか兵を進めないのに家康が業を煮やしたときのセリフ「あの、こわっぱ…」は今でも鮮明に思い出せる。名ゼリフだと私は思っている。

 

9月14日:Excel再び

 

研究室の学生が投稿論文の原稿をもってきた。軸やプロットの描き方を修正する必要があったので、データが記録してある電子ファイルを送る様に頼んだところ、予想通りExcelファイルが送られてきた。Excelシートと格闘すること1時間、ようやくExcelっぽさをある程度なくすことができた。

 

Excelの「散布図」という機能は確かに便利だと思う。コマンドをうちこまなくてもクリック操作だけでグラフが描けるのだから。それでも、やはりあまり好きにはなれないのはどうしてだろう?偏見だろうか?苦労の末にようやく出た渾身のデータは、丁寧にコマンドを打ち込みながらプロットしてあげたいと思ってしまう。

 

9月13日:ながら勉強万歳

 

午前中は都内に出張。15:00までに海洋棟に戻る必要があったことから出張先での所用が終わったら急ぎ気味に電車に乗った。横浜駅には意外に早く着き30分くらい時間に余裕があったので喫茶店で涼むことにした。アイスコーヒーを飲んでいると店内のBGMが聞き覚えのある音楽に変わった。プリンセス・プリンセスの"Seven Years After"という曲であった。私の高校の同級生が熱狂的にプリンセス・プリンセスが好きでよく休み時間にハミングを聴かされた。その男に影響されて私も高校時代にカセットテープ式ウォークマン(もちろんiPodではない)でよく聴いていた。この曲の歌詞は「失恋に終わった過去の恋愛を、今は前向きに思い出せる」というようなもの。男子校で恋愛とは無縁な生活をしていた私には当然ピッタリとくるシチュエーションではないが、何となく曲調が好みであった。プリンセス・プリンセスの中では一番好きな曲で、「さあ、これから元気出していこう」みたいな気持ちになれたのを覚えている。受験生のときは、よく「ながら勉強」の友にしていた。

 

9月12日:AneCan

 

電車の中ではなるべくつり革広告を眺める様にしている。この日はなぜかAneCanの広告が目に留まった。この種のファッション雑誌には必ず「この夏流行の○○グッズ」、「流行○○大特集」、「この秋の流行アイテムを先取りチェック!」などの標語が並んでいる。キーワードは「流行」であろう。アパレル業界ないしファッションモデルは流行をつくり出すのが仕事でそれに基づき評価をされる。一方、顧客はその流行に乗る、つまり流行グッズを購入して身につけ街を闊歩することで、他人の目を引くまたは友人や恋人等から「おしゃれだ」、「カワイイ」と見られる。

 

研究を生業とする者にとって「流行」とは常に意識しなければならないものだと思っている。流行から完全に目を背けると独りよがりになってしまうし、流行にのるのみでは、もはや研究者ではあるまい。学会講演会などに参加して他人の発表を聴くと、流行との付き合い方をどうしても考えてしまう。さじ加減が重要なのだろうとは思うが、どのあたりが最適かははっきりとは分からない。特に東日本大震災以降、流行をつくり、それに乗る機運が高まったと感じる。流行は、社会が必要とするモノを確実に反映している。だからそれに耳を傾けることは絶対に必要だと思う。同時に流行の波の中での自分の位置づけを認識し、流されるときは流され、止まるときは止まる。この辺りの判断を的確にやっていくしかないのであろう。できれば流行をつくり出す立場になりたいものである。

 

9月9日:お蔵入り

 

九州は福岡でポスドクをしていた頃にやり始めたミニ研究(*)がひとつある。やがて困難な壁にぶつかり、どうしても解決できない問題を残したまま福岡を離れた。その後、4年間ほどそのミニ研究はお蔵入りにして、ほとんど存在を忘れかけていたのだが、帰り際に、ふとその研究のことを思い出し、昔のノートを引っ張り出して鞄に入れ、海洋棟を離れた。帰りの電車でノートを開いたところ、「うっ…」と息がつまりそうになった。何が書いてあるか理解できないのだ。字が汚いというのも手伝って、読解に非常に困難を要する。電車が平野部を抜けたころ、ようやく全体像をつかめた。同時に以前に行き詰まった部分を解決できそうなアイディア(らしきもの)を思いついた。これで解決になるのかは全然分からなかったが、トライしてみる価値はありそうだ。

 

(*) ミニ研究:1日30分(くらい)限定で取り組む種まきのこと。「結果が出なくてもまあいいや」くらいな軽い気持ちで進めている。結果を出さないといけない主要研究の妨げにならないように、時間を限定する様に心がけているが、しばしば時間オーバーしてしまう。

 

9月8日:再び複眼思考

 

苅谷剛彦著『知的複眼思考法』を昨夕、帰りの電車中で読み終えた。この本、学生時代に単行本を買って 読んだことがあったのだが、引越しか何かのときに売ってしまったので、文庫版を購入し10年ぶりくらいに再び読んでみた。1回目に読んだときは「ステレオタイプに惑わされない心構え」みたいなことが易しく記述してあり、感銘を受けた鮮明な記憶がある。今回も同様に幾度か「なるほど」と膝をポンとたたきたくなる気分になった。ただ、複眼的思考の例として挙げられていた、厚生大臣時代の管直人氏の発言の部分と、メタ思考の部分は10年前と同様に今ひとつ理解できなかった。

 

9月7日:鏡の世界

 

あっ、負の向きの伝播波を計算するときは、あそこも符号を変えなきゃいけないんだ...ということに気付いたところで既に窓外は真っ暗。ここ2週間ほど、雑用の合間に進めた計算が間違いであることが判明。最低限のケガで済んだことは幸いだったが痛恨は痛恨。

 

ドラクエでいえば、ボスとの戦闘中に仲間のHP回復に専念するはずの僧侶がマホトーンをくらってしまったくらいの痛恨さ(今いち分かりにくい…)。トボトボと海洋棟を後にした。

 

9月6日:イシュー

 

安宅和人著『イシューから始めよ』を(超スピードで)読み終えた。「参考になるな」と思ってページの端を折った箇所を数えてみると、8つあった。どうやらこの本は著者のブログでの記述がきっかけとなって出版されたものらしい。ブログの当該記事を見てみると確かに本に書いてある事が端的に記してある。このブログ記事は、著者が米国の大学で研究をしていた時のものであるため、本以上に刺激を受けた。

 

9月5日:想定外

 

朝起きた瞬間にお腹の気持ち悪さと頭痛を感じる。とても電車に乗れる様な状況でなかったので、いつもと同じ時間に出かけることをあきらめ横になる。1時間ぐらい横になった後、這いつくばる様に歩き電車に乗り、また歩いて何とか海洋棟にたどり着く。午前中は半死人の様になりながらも、最低限の業務をこなす。当然、研究はできない。午前11時を過ぎたくらいから、頭痛がスゥーと消えるとともに、お腹の気持ち悪さが空腹に変わった。

 

ここでようやく気付いた。「もしかして二日酔い?」
うーむ、そういえば昨夜、大河ドラマを見始めた時にお酒をコップ2杯だけ飲んだのであった。それが、今日まで残っていたのか?お酒に決して強くはないが、コップ2杯で廃人と化したのは初めてだ。お酒との相性が悪かったのかも。

 

9月2日:スター教授の若かりし日の作品

 

今日は昼休み(大抵12:00-13:00くらい)がとれそうな感じだったので、ネットサーフィンをした。主なスポーツニュースをチェックした後、大学生のころに講義を受けたことのある先生のサイトを訪れた。この先生は、ご専門の分野で世界のトップレベルの方で、私が尊敬する研究者の一人である。ふと、その先生の研究史が気になって、Publication listを拝見した。確か、以前に受けた講義の中で、その先生が

 

「私は、この現象を理論的に説明するために非常にシンプルなモデルを作ったんです。今となっては当たり前と考えられている境界条件を取りこんで数式で表現してみたんですよ。不思議なことにその当時は、この境界条件を誰も考慮しようとしなかったんです。そしたら非常に興味深い解が得られたんですね。その成果を論文発表したら世界的に評価されたんです。」

 

ということを仰っていた。そのシンプルなモデルが発表された論文名をListから探し出して、web検索すると幸いPDFファイルをダウンロードできた。私の現在の研究テーマとは大きく異なる内容の論文だが、一人のトップ研究者の世界デビューした時の論文を読むことは何か刺激があるに違いない。近日中に読んでみよう。

 

9月1日:普通の日

 

子どもの頃は9月1日といえば一年の中で一番嫌な日(夏休み明けだから)だったが、今は嫌でなくなった。大学というところは9月1日に始業式なんて当然ない。ふと「もし大学に始業式があったら…」と考えた。そんな大学には勤めたくないだろうなあ。
午後、ウェブを頼りにフリーのソフト(Gnuplot, Giamなど)を使って計算結果の動画を作成する方法などを修得した。大学院生の頃に一度マスターしたのだが、完全に忘れていたのだ。さて、計算結果の表示はできる様になった。肝心の計算結果を出さねば。

 

8月31日:うわき

 

んー、研究というのは進めていくと必ず成果と次なる課題とがセットで現れる。次なる課題 の方が気になってしまって、目の前の問題を放り出そうとしてしまう。

 

「今の単純な手法では、早々に限界が見えそう」
「新しい凝った方法の方が希望がありそう」
などと考えてしまう。過去に幾度もこういうことがあった。悪いクセだ。今日は午後にそのパターン にはまりかけた。これではいかん。「今の単純な方法で、いけるところまでいって、一つの成果物と してまとめよう。新しい方法はその後にじっくり取り組むべし」と自分に言い聞かせる。 お世話になった恩師であれば、私にこのように言うだろうな。

 

8月30日:新幹線車中思考

 

昨日、今日と2カ所の造船所を回った。一口に造船所とはいっても、やはり会社ごとに特徴や 雰囲気がまったく異なっている。都市部にある造船所というのはわずかで、それ以外には何もないに 等しい海岸地帯にある場合がほとんどだ。しかし、このような田舎(といっては失礼だが)にこそ、 「船をつくる」という想いをもった人が集まり地道な努力を重ね、長年の技術が蓄積されているのだな と思う。自分は造船業に直接に携わる人間ではないが、精魂こめて船をつくって売ってきた人と話をすると 刺激をうける。自分にとっての「田舎」を得て、地道に研究に 励もうという気持ちになる。そんなわけで私は造船所めぐりが少しずつ好きになりつつある。
午後3時ころにすべての用事が済み、帰途につくため東向きの新幹線に乗る。昨日、答えがでなかった 問題を再び考え始める。名古屋駅のホームで乗り換えのひかりを待っていた時に、 希望が持てそうな案がひとつ浮かんだ。よし、明日試してみよう。

 

8月29日:あぁ新大阪

 

夏は学生が全国に散らばって工場等で実習している。教員としてその実習を視察しなければ ならない。私の分野の場合、工場≒造船所だから昨日に引き続き造船所を目指して新幹線に 乗って西へと移動する。 新幹線では今取り組んでいる問題をじっくり考えようと決めていた。が、中途半端な睡魔に襲われ 京都あたりまで何もできず。ただボォーと富士川、天竜川、木曽川、長良川、揖斐川などを 見つめながら過ごす。新神戸あたりから頭が動き始めた。ノートを見たり文字を書いたりして あれやこれやと考える。しかし、明快な突破口を見出すことができずに本州の端っこに着いて しまった。明日また、考えよう。

 

新大阪駅でやきとり弁当が食べたくて買おうとしたのだが、店の人がレジに不慣れでなかなか支払が できない。出発時刻はせまっている。何かのキャンペーン中で特殊な割引計算があり、それを レジに入力できないらしい。列車の到着を知らせるアナウンスがあったところでゲームオーバー。 涙をのんで、やきとり弁当をあきらめた。うー、明日は新大阪には降りないから次の出張まで おあずけだ。代わりに車内販売で鹿児島産肉のオンパレードみたいな弁当を買って食す。これはこれで 美味であった。

 

8月28日:でかい

 

日曜日だが労働した。学会の委員会の仕事で造船所見学会という催しがあり、主催団体の担当者 として小学生親子を引率した。引率とはいっても造船所内では会社の方がすべてをやってくれるので、 実質的に私は見学者と同様である。今年度はS社の造船所。S社には幾度も訪れているのだが、この日は初めて、 ゴライアスクレーンがブロックを吊るして移動する瞬間に立ち会えた。引率者という身分を忘れて最前列でマジマジと眺めてしまった。 暑い中での見学会であったが、参加者の集まりは上々であった。

 

8月26日:2往復

 

昼休み、来週の出張で乗る新幹線の乗車券を購入しに、大学生協プレイガイドへ行く。 このプレイガイドは海洋棟とはキャンパスの正反対側にある。炎天下の中、なるべく日の当らない ルートを探しながらたどり着き、チケットを購入し、普段はあまり利用しない方の学食で中華定食を 食べ再び海洋棟に戻る。うー暑い。汗だくとなりつつ購入したチケットを眺めると、なんと、新幹線 乗車券の一枚が希望したものとは違っている…生協に電話をかけたら、 「すみませんがもう一度来て下さい」と言われ、炎天下の中、再びキャンパス横断の旅に出る。 今日の生協営業時間は14:00までで、電話をかけたのは14時過ぎ。ギリギリ間に合った、助かった。 あまりの暑さに海洋棟隣のコンビニで三ツ矢サイダーを買おうと思ったが、何となくやめる。

 

行きの電車で、野口悠紀夫著『アメリカ型成功者の物語』を読み終える。前半は、1940年代終盤に カリフォルニアで起きたゴールドラッシュに関与した人々を、ビジネスの成功と失敗という観点 から論じている。この部分が強く印象に残る。「最終的に成功したのは金を掘った者ではなく、金を 掘りに集まった人々が必要とした物資を提供した者」という部分に、目からうろこ気分になる。 野口悠紀夫氏の著書『超○○法』は比較的よく読んでいる。今回読んだものは、この『超』シリーズでは ない分だけ新鮮味があり読了感が一番よかった。

 

さて、出張にもっていく本を選んでから帰ろう。

 

8月25日:分からないことだらけ

 

自由端反射って何だっけ?昨夜の帰りの電車でふと頭をよぎる。今日になって 本で調べていたら、あっという間に午前中終わる。。。
午後は、PED審査会があった。自分はいつも材料力学系の発表は真剣に聞く様にしている。それは、 あまりにも分からないことが多いから。う〜ん、勉強しよう(いつか)。

 

8月24日:インタビューとカタカナ表記してはどうか

 

大学院入試(面接)。「面接」、この言葉自体が好きでない。人生の節目で面接なるものを幾度も受けてきたが、 よい想い出はひとつもない。。。どうして面接官は普段よりも冷たく振舞う(様に見える)のだろう? どうして面接を受ける側になると、言いたい事が言えず、言わなくていいことを言ってしまうのか? かつて『面接の達人』という本を買って読んだことがあるが、私はどうあがいても達人になれそうもない。。。

 

夕方の帰り際、進めている研究でとんでもない思い違いをしていたことに気づく。。。修正不可かと 思っていやな汗を書いたが、なんとか軌道修正できた。こういうの昔から多いなぁ。

 

8月23日:リバイスは電車に限る

 

大学院入試(筆記)。受験生を見ていると「なんのために院に行くのかなぁ」と疑問に感じることがしばしば。
帰りの電車で立ちながら投稿論文のリバイス作業。研究室の机上よりも、作業がはかどる。どうして?

 

8月22日:リアル

 

森博嗣著『貴嶋先生の静かな世界』を改めて読む。主人公の心理と思考が、大学院生時代の自分の姿と、あまりにピッタリと重なったので共感やら驚嘆やら。 久々に清々しい読了感が残った。

 

8月19日:分かりやすく書けと言われても…

 

夏は次年度の研究計画について考えを練り、色々な申請書を書く準備の季節らしい。今の職場に来て4年目 であるが、ようやくそんなことを認識しつつある。自分の研究展望に思いをめぐらすとき必ず独創性という 言葉に突き当たる。独創性のある研究とはどんな研究か?大学院生の頃から考え続けてきたが、未だに明確な 答えは出せていない。著名学者の文章を読むと8割方「他人がやっていないことをやれ」と書いてある。その 通りだと思うので、研究テーマを選ぶときの私の第1原則はこれである。ただ、しばしば(他人がやっていない) 「こと」の解釈に迷う。
学会に参加すると、「こと」は方法と解釈されている例が多いと思う。研究テーマそのものは伝統的 なものであったりする場合がほとんどだ。多くの研究者が計算「方法」を提案し、精度を比べたりする。
一方で、自分の裁量で研究をやってもよい職にある限り、「こと」を「分野」とか「問題」と解釈できる 研究テーマを常に持っていたいものだ。そうすれば申請書の文章を明快な、そして熱意に満ちたものにできる 様な気がする。しかし、申請書作成はまだ手つかず…

 

8月18日:データの取り時

 

研究室メンバーが海洋棟屋上で実験。そこそこ面白い計測結果が出そう。有望な結果だからこそ 再現性の検証が必要。来月にもういちどやろう。この研究、完全に分野違いの内容をゼロから 積み上げている感じで、すごく地味だけど、やる価値は十分だと自分は思っている。

 

8月17日:うーん

 

久々に研究だけの日。午前中はプログラミング、ここ1カ月間くらいの下書きを一気にエディタに 打ち込んだ。バグは10個以内に抑えたい。午後はペン回ししながらノートとにらめっこ、これといった進展なし。帰りの 電車で引き続き考える。

 

8月11日:頼む、出ないでくれ

 

今日は海洋棟にあまり人がいない。夕方から、ある問題で考え込んでいたら遅くなってしまった。 帰ろうと廊下に出たら、照明が消えていて真っ暗だ。ちょっと怖い。

 

8月10日:結局どうすればいいんだ?

 

PowerPointで作成した図をepsに変換する作業に、長時間を費やしてしまった。

 

8月9日:Excelで描いたグラフって…

 

学生によく「研究ではMS WordやExcelは使わない方がいい」なんて言っているが、最近では自分も結構使っていたりする。 便利なのだけれど、仕上がり具合がね…

 

8月8日:送信した者勝ち

 

e-mailなしの仕事なんて、もはや考えられないけど、この受信数の多さはどうにかならないものか? 処理だけで半日費やした。。。

 

8月5日:第1の?ビール

 

海洋棟屋上で暑気払いがあった。「暑気払い」という言葉は、今の職場に来て始めて知った。 パターゴルフ大会が開催されたが、私の成績は無残であった。 かなり久しぶりに本物のビールを飲む。あまりの美味さに杯が進みすぎた、帰りの電車で 気持ち悪くなってしまった。